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2017年09月24日
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ホンダのレースイズム・歴史そして、日本のモータースポーツ文化

2009年06月26日
ホンダのレースイズム・歴史


今日は何の日60年代・70年代プレイバック ~忘れられない今日がある~ 毎日更新

1961年(昭和36年)6月12日(月)のニュース
本田技研、世界的権威のバイクレースで優勝

本田技研、世界的権威のバイクレースで優勝
写真提供:本田技研工業株式会社
本田技研工業は技術を高める手段のひとつとして、外国のモーターサイクルレースに積極的に参加した。国際レースに勝つことで技術を高め、それが製品の販売に結びつくとの考えからだ。
本田は世界の強豪が参加するイギリスマン島でのレースに1959(昭和34)年に初出場、3年目の6月12日、125CC、250CCの両レースで優勝、本田の名は一躍世界中に広がった。その後四輪を手がけた本田はF1レースへと進出。
 

イギリス本土と北アイルランドの中間に位置する自治領域「マン島」、そこで1907年から開催されている公道を使用した歴史あるロードレースそれが「マン 島TTレース」である。レースは首都ダグラスの市街地から時計回りに1周約60キロメートルのコースを周回し、そのタイムを競う。ワインディングあり、マ ウンテンコースありのバラエティに富ん起ロングコースは、ライダーに高度なテクニックと忍耐力を要求する過酷なものだ。1954年に本田宗一郎が出場宣言 したことから、HONDAの世界最高峰のレース「マン島TTレース」への挑戦は始まった・・・

 

1959年のデビューイヤーから、タベリ、ヘイルウッド、高橋国 光、フォガティ、ダンロップといったホンダゆかりのレーサー達の活躍をあますとこなく収録。世界のライダー達と共に栄光のステップを駆け上がったホンダ・ マシン達。最速ホンダに敵はいなかった。

1958年には、日産が「ダットサン」でこの豪州1周ラリーに初参戦するなど、まさに1950年代後半は、日本の自動車メーカーが隆盛の礎を築いただけでなく、日本のモータースポーツの歴史が本格的に幕開けした時代だった。

たぶん、日本のモータースポーツは少しづつ発展を続けるだろう。そして欧州並のモータースポーツ文化が宿ることを望みたい。そしてフォーミュラ・ニッポンなど の賞金もゴルフのツアー並になる事を望む。せっかく世界最高水準の自動車技術があるのだから、それを生かさぬ事は勿体無いし、「日本は技術だけでレースは イマイチ」と言われないためにである。

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